大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

徳島家庭裁判所 昭和46年(家)366号 審判 1977年3月14日

申立人 富山千代(仮名) 外一名

相手方 富山尚美(仮名) 外三名

主文

1  被相続人の遺産を次のとおり分割する。

(1)  別紙目録(略)記載一~六、一六、三〇、三一の遺産はすべて申立人富山節夫の単独取得とする。

(2)  申立人富山節夫は申立人富山ヨシノ承継人富山千代に対し一、七一一万三、三六三円、相手方富山尚美、同富山徹に対し各四二七万八、三四一円、相手方河田和夫に対し八五五万六、六八二円を支払え。

(3)  申立人富山節夫は相手方富山義則に対し、相手方富山義則が別紙目録(略)記載一~六、一六の不動産についての徳島地方法務局○○出張所昭和四九年四月三日受付第二〇三九号富山義則持分の根抵当権設定登記、同昭和五〇年六月四日受付第三一九八号富山義則持分の根抵当権設定登記および同昭和五〇年八月二五日受付第五七二九号富山義則持分の根抵当権設定登記の各抹消登記手続をするのと引き換えに、五六五万七、二九四円を支払え。

2  相手方富山尚美、同富山徹、同河田和夫および同富山義則は別紙目録(略)記載一~六、一六の遺産についての共有持分につき申立人富山節夫に対し遺産分割を原因とする所有権持分移転登記手続をせよ。

3  本件手続費用中、鑑定人中川太郎に支給した鑑定費用二〇万円は相手方富山尚美、同富山徹および同富山義則の連帯負担とし、その余の費用はそれぞれ支出した者の負担とする。

理由

第1本件申立の趣旨

被相続人(亡)鉄太郎の遺産の分割を求める。

第2当裁判所の判断

調査、審問の結果にもとづく当裁判所の事実上および法律上の判断は次のとおりである。

1  相続の開始

被相続人(亡)鉄太郎は長年地方公務員として勤務し、旧徳島県○○郡○○村(現徳島市○○町)村役場の書記を経て助役、村長と昇進した者で、その傍ら家業の農業に従事してきたが、昭和三八年四一九日に老衰のため享年八七歳で死亡した。

2  相続人および法定相続人

(1)  被相続人は明治三三年一一月三〇日水野ヨシノと婚姻し、その間に長男富山節夫(明治三四年三月二八日生)、二男(亡)富山誠二(明治四〇年一月三日生)、三男河田和夫(明治四一年一一月三日生)、四男富山義則(大正七年五月八日生)が出生した。二男富山誠二は昭和七年一月三日水野秋子と婚姻し、その間に長女富山尚美(昭和七年二月一一日生)、長男富山徹(昭和一〇年三月六日生)が出生したが、誠二は昭和三〇年九月一九日食中毒のため死亡したので、長女尚美、長男徹が同人の代襲相続人である。

(2)  被相続人と相手方河田和夫との親子関係の存否について

相手方河田和夫は被相続人の三男として出生届がなされたのち、大正四年三月三一日河田和夫、トク夫婦と養子縁組した旨戸籍に記載されているところ、相手方義則は被相続人と河田和夫との間に実親子関係が存することを否定し「河田和夫は河田トクが夫耕三と死別して後に出生した非嫡出子(私生子)であり、私生子では具合が悪いということで、被相続人とその妻ヨシノ間の嫡出子として出生した如く装い三男として出生届をしたもので、真実の親子関係は存在せず、この事は被相続人から直接聞かされた」旨供述している。

しかしながら、関係戸籍の記載によれば被相続人の母サダは河田長一郎の長女であり、前記河田耕三は長一郎の長男であるので、被相続人は耕三とは伯父甥の関係になるけれども、河田トクが夫耕三と死別したのは大正七年二月二三日であつて、河田和夫はこれより以前の明治四一年一一月三日にすでに出生しており、河田トクが未亡人となつて後私通関係によつて分娩したものでないことが明白である。トクは明治二年八月一九日生れで、河田和夫の出生当時すでに年齢三九歳に達しており、明治三二年一〇月二五日河田耕三と婚姻し、翌明治三三年二月一四日長女アヤノを出生しているのみで、戸籍上他に出生の記載はない。そして申立人節夫および相手方河田和夫はいずれも河田トクと河田和夫の間に実母子関係が存することを強く否定しており、相手方河田和夫は「幼時に河田耕三、トク夫婦の養子として入籍したので、河田夫婦の実子であると信じていたところ、一五歳頃当時素行不良となつたとき、被相続人の母サダからお前は鉄太郎の子であるから社会のためになるよう勉強せないかんと言われ、耕三、トクとは養親子関係にあることを知つた。その後養母トクからも私が養子であることを聞かされ、耕三、トク間の長女アヤノが婚姻するとき(大正七年四月一六日届出)、河田家の家督相続人を誰にするかでもめたが、結局私が相続することになつた(同年三月八日家督相続届出)。自分は被相続人との関係を知つて以後鉄太郎、ヨシノ夫婦の実子であるが、河田耕三、トク夫婦の養子となつたとの気持で被相続人と接し、被相続人は自分を和夫と呼んでいた」旨具体的事実を指摘し、客観的な事実に符合する供述をしている。これらの事実によれば、相手方河田和夫は被相続人と妻ヨシノ間の嫡出子であると認めるのが相当である。

(3)  被相続人の妻ヨシノは、本件遺産分割調停事件係属中の昭和四五年二月二一日死亡したが、存命中の昭和四四年一二月一五日公証人役場において徳島地方法務局所属公証人松永恒雄に対し遺言を口授し、同公証人作成同年第四二一二号公正証書遺言により自己の遺産(被相続人の遺産に対する相続分を含む)を曾孫富山千代(昭和三二年七月一二日生)に遺贈している。ところで、公正証書遺言には証人二人以上の立会が必要であり(民法九六九条)、同公正証書遺言によると上田英治郎、河田和夫の二人が証人として立会つているが、前記のとおり河田和夫はヨシノの推定相続人であるから、民法九七四条の証人の欠格事由の規定により立会人となることができないものである。従つて証人不適格者である河田和夫を除外すると、同公正証書遺言は証人二人以上の立会があることの要件を欠缺するもので、無効であること明瞭である。しかしながら、富山ヨシノは公正証書遺言に先立ち昭和四四年一二月一〇日自筆証書遺言を作成し、被相続人に対する自己の相続分を曾孫富山千代に遺贈する旨上記公正証書遺言と同一内容の遺言をしており、この自筆証書遺言は全文、日附、氏名が自書され、署名の下に押印のなされた適式なものであるから、結局(亡)ヨシノの相続分は富山千代に包括遺贈されたものと認められる。

(4)  従つて、被相続人鉄太郎の遺産相続を受ける者は(亡)妻ヨシノの包括受遺者富山千代、長男富山節夫、二男富山誠二の代襲相続人富山尚美、同富山徹、三男河田和夫、四男富山義則であり、被相続人の相続財産に対する各人の法定相続分は富山千代三分の一、富山節夫、河田和夫、富山義則各六分の一、富山尚美、富山徹各一二分の一である。

3  分割協議の不調

富山ヨシノ、同節夫は昭和四四年五月七日その余の当事者を相手方とし、相手方河田和夫以外の者との間に遺産分割協議が整わないとして、当庁に遺産分割調停の申立をし、当庁同年(家イ)第一八五号事件として係属し、同年一一月一二日から昭和四六年六月二八日までの間前後一七回にわたり調停委員会による調停がおこなわれたが、当事者間において合意が成立するに至らなかつた。

4  分割の対象となる遺産の範囲

(1)  本件遺産分割の対象となるべき被相続人の遺産は別紙目録(略)記載一~六、一六、三〇、三一の各不動産のみと認める。

(2)  別紙目録(略)記載一~五(田)および同六、三一(宅地建物)が遺産であることは各相続人間にも争いがない。別紙目録(略)記載一六(田)は同目録二一の徳島市○○町○○○○×××番×田一、二六九平方メートルとの接続田であつて、×××番×の田は後記(3)のとおり昭和二六年に被相続人から孫の富山友行に贈与されたものであるが、この際別紙目録(略)記載一六(田)も同時に友行に贈与されるべきはずのところ、少面積のため、被相続人が失念して脱漏したものであるから、被相続人の遺産と認めるの他ない。次に別紙目録(略)記載三〇(田)につき申立人節夫はもと自己の固有物件で、その後長男友行に贈与したものであるから遺産ではないと主張し、同土地は現在徳島市役所の固定資産課税台帳に申立人節夫の所有として登載されている。しかし、逆に不動産登記簿上同土地について被相続人の父富山壮吉名義の土地表示登記が職権でなされているし(所有権保存登記は未了)、現況田であるが、少面積でもと墓地であつたことが認められるので、現段階では一応富山壮吉の所有であつたと認めるのが相当である。そして被相続人は明治四三年三月二九日父壮吉の隠居によりこれを家督相続したから、別紙目録(略)記載三〇(田)は被相続人の遺産であると認める。

(3)  別紙目録(略)記載七~一五、一七~二一の不動産が遺産であるか否かについて

<1> 相手方義則は上記不動産が被相続人の遺産であると主張し、各不動産は相続開始時に登記簿上全部被相続人名義に所有権移転登記がなされていたことが認められる(この場合登の推定力により相続開始当時被相続人の所有に属することが推認される)。

<2> しかし上記不動産は次のとおり被相続人の生前中にすでに孫富山友行(昭和六年一月一五日生)に贈与され、同人の固有財産となつているものである。すなわち、被相続人は前記のとおり○○村の役場行政に携わつていたので、家業の農業は主に他の家族の労力に委ねられており、このため申立人節夫は大正七年頃旧制徳島中学に入学していたが、間もなく祖父壮吉(昭和五年五月五日死亡)が老齢のため農業仕事に従事することができなくなると、被相続人から学業を放棄して農業を後継するようにいわれ、やむなく同校を中途退学し、以来一家の主力となつて家業の農業に精励していた。申立人節夫の二男富山友行(長男浩は大正一五年一月一三日夭逝)は昭和二三年三月徳島県立○○中学校(現県立○○高校)を卒業後引続き被相続人および申立人節夫夫婦と同居して農業に従事していたが、約二年後農耕仕事に嫌気がさし、他に就職したいので農業を妹智子に養子をもらつて後継してほしい旨申し出たので、被相続人と申立人節夫らが友行に是非とも農業をさせる方策を相談した結果、友行に対し「男は跡を取るのが当り前だ。土地を分け与えてやるから腰を落ち着けて百姓をしろ。」と論し、このため友行は他職への就職を翻意して農業を一生の仕事にすることに決心したので、被相続人は友行が成人に達した後の昭和二六年四月頃友行に対し別紙目録(略記載七~一五、一七~二一の各不動産を贈与した。そして被相続人と友行は同年五月七日徳島県知事に対し当時の農地調整法による農地所有権移転の許可申請をし、徳島県知事は同年五月三〇日付で農地調整法施行令第二条第一項の規定による許可(徳島県指令農地第一四〇三号の一)を与え、これにより該農地の所有権は友行に移転した。そして農地の贈与にともなう贈与税の基礎控除の特典を受けるため、該農地の一部である別紙目録(略)記載一三~一五、一七、二〇、二一の土地についてのみ昭和二六年九月四日友行名義に所有権の移転登記がおこなわれた。ところが翌昭和二七年度の贈与税申告に際し上記贈与にともなつて納める税額がない旨の申告を所轄税務署に提出したところ、担当税務官は被相続人から相続人をさしおいて孫友行になされた上記贈与は相続税の潜脱を目的としたものとみなされるし、被相続人から相続人、相続人から友行へと二個の贈与がなされたとみるべきであるから、各贈与毎の税金を納税すべきであると主張して譲らず、但し友行に対する所有権移転登記が抹消された場合には贈与税は課税されないと言明した。このため被相続人らは友行に対する所有権移転登記を抹消することにし、同年六月六日錯誤を理由に抹消登記がなされたが、友行は上記贈与にともなつて被相続人から該農地の引渡を受け、以来現在に至るまで父節夫とともにこれを耕作管理してきているもので、上記登記の抹消は友行に対する贈与自体をまで取り消したものではない。

<3> しかるに相手方義則は上記贈与について被相続人は申立人節夫の妻大沢からやかましく言われて仕方なく友行に贈与したが、その後被相続人が義則らに援助をしようとしたところ、大沢が快よく言わぬため、被相続人は上記贈与を取り消し友行への所有権移転登記も抹消したもので、この事は被相続人から直接聞いた旨供述している。しかしながら、相手方義則の供述は他の証拠による裏付を全く欠いており、大沢が被相続人の家庭内でそれほどの発言権をもつていたような証拠は寸毫も存しないし、後記のとおり申立人節夫は昭和二七年一二月相手方義則に対し会社運営資金として金一五万円を融資してやつており、この時期は前記登記抹消のわずか六ヵ月後のことであつて、このような事実は相手方義則の前記供述と矛盾なく存立することは困難とみるべきである。また当時前記贈与の合意解除もしくは取消による所有権の回復について徳島県知事に許可申請がなされた事実もない。従つて相手方義則の前記供述は採用し難い。

<4> もつとも別紙目録(略)記載一八~二一の土地について徳島地方法務局○○出張所昭和三四年七月一六日受付第一四六五号をもつて根抵当権者徳島県○○○○協会、債務者○○○○砂利企業組合(代表理事富山義則)、原因昭和三四年七月一四日債務保証委託契約についての同日根抵当権設定契約、元本極度額金七〇万円の登記内容で根抵当権設定登記がなされている。○○○○砂利企業組合は後記のとおり砂利の採取、販売等を事業目的とし相手方富山義則が昭和三四年六月一二日中小企業等協同組合法にもとづき設立した企業組合であり、上記事実は別紙目録(略)記載一八~二一の土地が友行に贈与された事実と両立しないかの如くであるけれども、同土地は当事者間に遺産であることに争いのない別紙目録(略)記載四、五の土地と共同担保物件となつており、被相続人は相手方義則から○○○○砂利企業組合の運営資金借入のために担保の提供を依頼され、遺産である別紙目録(略)記載一~五の土地に担保設定をすることを承諾したが、同土地の担保価値が低くて融資条件に満たなかつたため、富山友行に対しすでに同人に贈与していた同目録一八~二一の土地を○○○○砂利企業組合の債務担保として提供してくれるよう申し入れ、友行がこれを気持よく諒承したものであることが認められるから(なお被相続人の遺産については別紙目録(略)記載六の宅地についても昭和三五年七月二〇日根抵当権者株式会社○○○○銀行、債務者富山義則、元本極度額三〇万円の根抵当権設定登記がなされ、昭和三七年七月一九日抹消登記されている)、前記根抵当権設定の事実は友行への贈与を否定する事由とはならない。

<5> そうだとすれば、別紙目録(略)記載七~一五、一七~二一の各不動産は被相続人の存命中相続人ではない孫の友行に贈与されているものであつて、被相続人が相続開始時に有した遺産に該当せず、また特別受益物件にも該当しないことが明らかである。

5  特別受益

当事者のうち被相続人から生前生計の資本として贈与を受けた者、その財産および相続開始時における価額は次のとおりである。

(1)  相続人(亡)富山誠二(代襲相続人富山尚美、富山徹)

被相続人の二男(亡)誠二は徳島○○高校から○○大学専門部を卒業した後、外国に留学することになり、アメリカ○○○○○○○大学の入学許可がきたので、被相続人は当時田畑俊一発起の一万円頼母子講を一五番で落札し、落札金九、二〇〇円を誠二の留学費用として同人に贈与したが、誠二の渡米前に○○大学時代の恩師が当時の満州国立法院長に任命されたため、誠二も同国立法院に就職することになり、上記留学を取り止めたことが認められる。誠二の外国留学は他の兄弟と違つて特別の高等教育を受けることに該当するから、被相続人から贈与されたその費用は民法九〇三条の生計の資本としての特別受益に含まれる。ところが、本件において誠二は被相続人の相続開始以前に死亡し、相手方富山尚美、同徹が父誠二を代襲相続しているので、被代襲者(父)が生前贈与を受けて死亡した場合に代襲者(被相続人の孫)の具体的相続分はどうなるかという問題がある。当裁判所は、被代襲者は被相続人から享受した特別受益を自ら消費してしまうこともあるし、被代襲者の特別受益について代襲相続人が常に持戻義務を課せられるならば時に酷な結果を生じ、かえつて衡平を失なうおそれがあるので、代襲者(孫)が被代襲者(父)を通して被代襲者が被相続人(祖父)から受けた贈与によつて現実に経済的利益を受けている場合にかぎりその限度で特別受益に該当し、この場合には代襲者に被代襲者の受益を持ち戻させるべきであると考える。そうすると、外国留学の費用は誠二の一身専属的性格のもので、代襲者である相手方富山尚美、同徹はそれによる直接的利益を何ら受けないものであることが明らかであるから、受益者誠二が死亡したのちは、上記代襲相続人に対し特別受益と認め持戻させるのは相当でないというべきである。

(2)  富山節夫

<1> 別紙目録(略)記載二二~二九の土地はもと登記簿上富山節夫の所有名義であり、同人は昭和四五年一二月二二日これを友行に贈与し、昭和四六年一〇月一九日付で所有権移転登記をしている。

<2> 相手方義則は上記土地のうち別紙目録(略)記載二四、二六、二七の土地は大正一五年五月一一日被相続人から申立人節夫に生前贈与されたものであり、その余の土地は被相続人名義の小作権にもとづき戦後の農地解放によつて昭和二四年一〇月一四日申立人節夫名義で取得されたものであるから、実質上は被相続人からの生前贈与とみるべきだと主張している。

<3> しかしながら、登記簿の記載によると別紙目録(略)記載二四、二七の土地は大正一五年五月一一日上村洋次郎から申立人節夫に同日付売買を原因として所有権移転登記がされ、同目録記載二六の土地は同年三月三〇日矢島源吉から申立人節夫に同日付売買を原因として所有権移転登記がなされているところ、明治三四年生れの申立人節夫は当時二五歳で、大正一三年には妻大沢と婚姻して(大正一四年一〇月一日届出)、大正一四年一二月二八日長男浩をもうけ、旧制徳島中学を中退後公務多忙な被相続人に代わりすでに相当期間家業の農業に従事してきていた時期である。他方被相続人は当時すでに別紙目録(略)記載六~一〇、一三~二一の農地を所有しており、上記三筆の農地を含む別紙目録(略)記載二二~二九の土地は当時大正一五年三月二二日矢島源吉において家督相続したが、同人は同目録二六の土地を除いて同日上村洋次郎に売り渡し、次いで同年五月一一日別紙目録二二、二三、二五、二八、二九の土地が上村洋次郎から村田義一郎に、同日同目録二四、二七の土地が上村洋次郎から申立人富山節夫に所有権移転登記され(同目録二六の土地は前記のとおり矢島源吉から直接申立人節夫に所有権移転登記されている)、村田義一郎に所有権移転登記された土地は後記のとおり全部戦後の農地改革による政府売渡により申立人富山節夫に所有権移転登記されている経緯にかんがみると、別紙目録(略)記載二四、二六、二七の土地は当時小作契約が締結されておらず、申立人富山節夫において自作地とするためこれを買い受けたものであるとの可能性もあながち否定できないし、他方相手方義則の主張は何らこれを裏付ける証拠がない。結局上記土地は登記の推定力により、申立人富山節夫において独力で取得したものと認めざるを得ない。

<4> 別紙目録(略)記載二二、二三、二五、二八、二九の土地は前記のとおりもと村田義一郎の所有名義であつたところ、昭和二二年八月二日自作農創設特別措置法一六条の規定による政府売渡によりいずれも昭和二四年八月二七日申立人富山節夫名義に所有権移転登記されている。これらの土地には戦前戸主であつた被相続人名義で小作契約が結ばれていたが、実際は申立人富山節夫において耕作を続けてきていたものであるし、昭和二二年当時被相続人はすでに年齢七〇歳をこえており、申立人富山節夫が実質上の小作人として農地改革にともなう政府売渡を受け、同人において売渡代金を支弁したものであることが明らかである。

<5> 従つて別紙目録(略)記載二二~二九の土地はいずれも申立人富山節夫において独力で所有権を取得したものであり、被相続人からの生前贈与による特別受益に該当しないと認めるのが相当である。

(3)  富山義則

<1> 相手方富山義則は昭和一一年旧制○○中学、昭和一四年○○大学専門部、昭和一六年一二月○○大学学部をそれぞれ卒業しているが、○○大学在学中被相続人から学資の援助を受けた。また相手方義則は大学卒業後北京の○○営団に就職し、終戦後昭和二一年五月引き揚げ昭和三〇年頃まで大阪市で居住していたが、この間昭和二七年頃当時勤務していた会社のアスファルト部門が分離して新会社が設立されたり、また大阪市○区で○○○○株式会社を経営しているとき、会社の運営資本として、昭和二七年一二月二日から昭和二九年一二月二〇日の間に、申立人富山節夫から一五万円、相手方河田和夫から一〇万円、上田英次郎から一〇万円、佐藤義治から一〇万円、倉田某から一一万円、合計金五六万円を被相続人の連帯保証(申立人富山節夫からの借入金を除く)のもとに借り受けたが、結局この支払ができなかつたため、相手方義則の依頼により、被相続人において昭和三〇年三月頃元本全額五六万円(支払利息については金額が不明であるので認定しない)を相手方義則に贈与する意思をもつて各貸主に代位弁済した。本件証拠中には相手方義則が他にも被相続人から生前贈与を受けたことをうかがわせる資料も存するが、その内容が明確でないので、特別受益として考慮しない。

<2> そして被相続人の資産、社会的地位を基準に考えた場合、相手方富山義則が大学教育を受けたことは相応程度のもので、他の兄弟と異なる特別の教育を受けさせてもらつたものではないと認められるので、大学卒業のために要した学資の支出は親の負担すべき扶養義務の範囲内に入るものと認められ、従つて生計の資本としての贈与にはあたらない。しかし被相続人による前記代位弁済は明らかに生計の資本としての金銭の贈与にあたる。そして相続人が被相続人から贈与された金銭を特別受益として具体的相続分算定の基礎となる財産の価額に加える場合には贈与時の金額を相続開始時の時の貨幣価値に換算した価額をもつて評価すべきものであるところ、相手方義則が被相続人から贈与を受けた昭和三〇年と昭和三八年の相続開始時とでは消費者物価指数において三〇%の増加であることは公知の事実(総理府統計局消費者物価接続指数総覧参照)であるので、相手方義則の受けた贈与金五六万円を相続開始時当時の貨幣価値に換算すると七二万八、〇〇〇円となる。

(4)  他の相続人中特別受益者に該当するものは見当らない。

6  相続人の寄与分

(1)  申立人節夫は、法定相続分のほかに遺産の維持形成について貢献したので、五〇%相当の寄与分を有する旨主張するのでこの点を検討する。相続人の相続分は法定されている遺言による場合を除き変更できないと解すべきであるから、共同相続人中遺産の維持形成について他の相続人に比して顕著な協力貢献をなし、その程度が身分関係にもとづく通常の協力の程度をこえるときは法定相続人とは別に、その程度に応じ、寄与の結果が遺産中に潜在するものとして、遺産の分割に際し、その清算を求めうるものと解するのが、公平の観念にかない、かつ特別受益の持戻を定めた民法の趣旨に添うゆえんである。

(2)  本件において、前述の如く被相続人はその生涯の就労可能期間の殆んどを主に地方公務員として過ごし、申立人節夫は相続開始まで四〇年以上の長期にわたり学校を中途退学までして家業の農業に専従し、被相続人に協力して精励し、戦後は文字通り農業経営の支柱となつて遺産の維持に貢献したものであることは否定できない事実であり、被相続人から学資その他相当の扶養を受け早くから他出して独立し、被相続人の農業経営に全く寄与していない相続人との間には極めて大きな差異があり、この場合遺産を平等に分配することになれば実質的に甚しい不平等を招来することになるから、申立人節夫につきその寄与に相当するものを評価しなければならない。そこで寄与の程度について考えると、申立人節夫は自己の寄与分を遺産額の五〇%と主張するけれども、被相続人と共に農業に専従したとはいえその間被相続人の財産に特段の増加があつたとは認められず、かえつて申立人節夫は農業収入から自己名義の農地を取得しているし(別紙目録(略)記載二二~二九の土地)、被相続人らと同一経理のもとに耕作収益してこれから自己および家族の生活費用を長年支弁してきている。従つて、本件遺産の維持管理に対する申立人節夫の貢献については上記をもつてすでに相応の報いがなされているとはいちがいに認め難いが、反面申立人節夫が他の相続人と比較して専ら犠牲を強いられた無駄働きというほどのものでもないから、遺産に対する申立人節夫の寄与分は二〇%と認めるのが相当である。

7  遺産の評価額

本件遺産である別紙目録(略)記載一~六、一六、三〇、三一の不動産の相続開始時および昭和五一年一月一九日現在の価額は鑑定の結果により別表鑑定評価額のとおりと認められ、地価公示法により国土庁がおこなう地価調査の結果による徳島圏域の地価変動率が鑑定時以降現在まで概ね横ばいであることは公知の事実であるから、上記鑑定額を現価の価額とする。

8  各相続人の具体的取得分(現実の相続分の算定)

(1)  民法九〇三条一項のみなし相続財産価額

<1> 相続開始時の遺産価額

前記六において認定した各評価額の合計金一、五二〇万三、五七〇円であるが、これから申立人節夫の寄与分二〇%に相当する金三〇四万〇、七一四円を控除すると残金一、二一六万二、八五六円となる。

<2> 特別受益額

前記五(3)において認定した相手方義則の生前贈与についての評価額七二万八、〇〇〇円である。

<3> みなし相続財産の価額

<1><2>の合計一、二八九万〇、八五六円となる。

(2)  民法九〇三条一項による当事者各自の本来の相続分(円)

富山千代 1,289万0,856×(1/3) = 429万6,952

富山節夫 1,289万0,856×(1/6) = 214万8,476

富山尚美 1,289万0,856×(1/12) = 107万4,238

富山徹  1,289万0,856×(1/12) = 107万4,238

河田和夫 1,289万0,856×(1/6) = 214万8,476

富山義則 1,289万0,856×(1/6) = 214万8,476

(3)  特別受益および寄与分による具体的相続分の算定(円)

富山節夫 214万8,476十304万0,714 = 518万9,190

富山義則 214万8,476-72万8,000 = 142万0,476

その他の相続人の具体的相続分は前記(2)の価額

(4)  各相続人の現実の取得分(円)

本件遺産の現在価額六、〇五五万〇、八八〇円に前記(3)の具体的相続分の比率を乗じて算定される。

富山千代 60,550,880×(4,296,952/15,203,570) ≒ 1,711万3,363

富山節夫 60,550,880×(5,189,190/15,203,570) ≒ 2,066万6,857

富山尚美 60,550,880×(1,074,238/15,203,570) ≒ 427万8,341

富山徹  60,550,880×(1,074,238/15,203,570) ≒ 427万8,341

河田和夫 60,550,880×(2,148,476/15,203,570) ≒ 855万6,682

富山義則 60,550,880×(1,420,476/15,203,570) ≒ 565万7,294

9  本件各当事者の生活史および現在の生活状況

申立人節夫は前述のとおり現在まで引続き農業に従事してきている。昭和四四年九月一三日妻大沢と死別し、年齢すでに七五歳で、昭和四六年一〇月には自己名義の農地も二男友行に贈与したが、現在も友行とともに農業経営にあたり、被相続人の自宅であつた別紙目録(略)記載三一の建物に友行夫婦および孫千代らと同居している。(亡)富山ヨシノの承継人富山千代は友行の長女で身体障害者である。相手方徹は○○大学法学部を卒業後一時帰徳していたが、昭和三九年頃上阪して大阪府○○市の○○○○○会社に入社し、同年八月結婚して子供二人をもうけ、昭和四七年八月から埼玉県○○市に居住している。相手方尚美は徳島県立女学校卒業後上阪していたが、昭和二九年頃から当時大阪にいた妻子のある相手方義則と内縁関係(両名は三親等の傍系血族であるから法律上婚姻をすることができない)を結び、その後妻と離婚した相手義則とともに帰徳して、現在は相手方義則が代表理事をしている前記○○○○砂利企業組合の事務員をしている。相手方和夫は昭和四六年七月まで○○市役所に勤務し、退職後は農業の手伝をしている。相手方義則は前記のとおり昭和三〇年頃帰徳した後、昭和三四年六月徳島市○○町の自宅に主たる事務所を置き、砂利の採取販売を業とする○○○○砂利企業組合を設立して代表理事に就任し、現在に至つており、同組合は年間約一億円の粗収入を挙げている。相手方義則は昭和五一年九月徳島市○○○○町に転居し、内妻尚美、尚美の母秋子(亡誠二の妻)、離婚した妻との間の長女英子の四名で居住している。

10  遺産の分割

(1)  遺産の管理状況

本件遺産は全部申立人節夫において管理している。本件遺産ならびに申立人節夫および富山友行所有の前記農地が所在する徳島市○○町は徳島市の北部、○○川の北岸に位置し、古くから水稲を中心とする平地部農村地帯が形成されている。当地区は地理的に徳島市中心部に近接し、近年開発が予測されて農地の宅地化転用が活発であり、工業団地、住宅団地が次次に建築されつつある。本件遺産の地区は現在市街化調整区域に指定されており、付近は広大な農村集落地域であるので、宅地化転用はやや困難をともなうが、最近における農地の市場性、特に宅地見込地として強気配が地価に大きく影響している。そして被相続人の遺産である別紙目録(略)記載六の自宅敷地の周辺に申立人節夫および友行固有の前記農地が集合し、遺産である同目録一六、三〇の農地もこの一角を占めている。また遺産である同目録一~五の農地は自宅南方に位置し集合画地を形成している実際上の一枚田である。

(2)  遺産分割方法に対する各当事者の希望

本件遺産分割について特異なことは相手方義則において本件遺産を含む別紙目録(略)記載一~二〇の不動産につき、昭和四八年三月三日付で民法二五二条但書にいわゆる保存行為として昭和三八年四月一九日相続を原因とする共同相続人名義への所有権移転登記(共同相続登記)ならびに同年同月一三日付で富山ヨシノ持分の相続を原因とする共同相続人名義への所有権一部移転登記をなしたうえ、自己の持分について昭和四九年四月三日債務者○○○○砂利企業組合のために根抵当権者徳島県○○○○協会に対し極度額三、〇〇〇万円の根抵当権設定登記、昭和五〇年六月四日同じく根抵当権者○○○○○○金庫に対し極度額二、〇〇〇万円の根抵当権設定登記、同年八月二五日同じく根抵当権者徳島県○○○○協会に対し極度額八〇〇万円の根抵当権設定登記をなしている事実である。そして○○○○○○金庫の被担保債権の範囲は銀行取引債権、手形小切手債権、徳島県○○○○協会の被担保債権は信用保証委託取引による債権であるところ、○○○○砂利企業組合は○○○○○○金庫から徳島県○○○○協会の信用保証のもとに合計金一、九〇〇万円の証書貸付を受け、昭和五一年一二月一四日現在一、〇〇八万円の残債務があり、また同日現在同金庫から合計金二、五六二万七、五九二円の手形割引を受け、○○○○砂利企業組合のこの債務について相手方義則および尚美が連帯保証しているが、○○○○○○金庫は当裁判所の調査嘱託に対し商業割引手形が万一不渡となつた場合には上記根抵当物件を処分することならびに本件遺産分割により遺産が根抵当権設定者である相手方義則以外の者に現物分割された場合に同遺産取得者が引続き担保提供を拒否すれば根抵当物件を処分するとの強硬意見を有している。さらに○○○○砂利企業組合は相手方義則の前記根抵当権の設定にもとづき同協会の信用保証のもとに昭和四八年五月から昭和五一年一二月にかけて株式会社○○銀行から八〇〇万円、○○○○公庫から五〇〇万円、○○○○金庫から一、二五八万五、〇〇〇円の証書貸付を受け、昭和五二年二月一日現在合計金二、七二三万五、〇〇〇円の残債務がある。なお○○○○○○金庫および徳島県○○○○協会に対する根抵当物件には別紙目録(略)記載一~二〇の土地のほか相手方義則個人所有にかかる徳島市○○町および○○町内の不動産一二筆(昭和五二年一月当時の時価推定二、五〇五万円)も共同担保物件として含まれている。相手方義則の持分に対する前記根抵当権設定は本件遺産分割事件が当庁に係属後他の当事者不知の間になされたものであり、相手方義則は担保設定している別紙目録(略)記載一~五の遺産からの現物分割を希望し、同土地を宅地化して将来事業用資材置場等に使用したい意向であり、相手方尚美および徹は相手方義則に分割方法を一任しているが、同様に現物分割を希望している。これに対し、申立人節夫は被相続人の遺志であるとして農業経営の細分化を避けねばならぬと強調し、家族とともに農業によつて生計を維持している以上現物分割に代えて金銭による分割を求めている。相手方和夫は遺産の取得を希望していない。被相続人は遺言を遺してはいないが、存命中「土地を分割したのでは跡取りが成り立たぬ」と言明していた。ところで相手方義則の如く共同相続人の一人が遺産分割終了前に個個の相続財産に対する自己の持分を単独で自由に処分(根抵当権の設定)できるか否かについては学説も対立しており、これを積極に解するにしても、遺産分割事件の具体的な解決にあたりこの処分の存在が障害となり得る可能性が強いことは否定できないから、本来遺産分割事件の係争中にこのような処分にでることは避けるのが筋道であると考える(本件遺産の鑑定後当裁判所は当事者双方に対し事実上の調停を試みたが、相手方義則において別紙目録(略)記載一~二〇の物件に対する根抵当権をすみやかに消滅させることに同意せず、かえつてこの間にも根抵当権者徳島県○○○○協会の信用保証のもとに徳島○○金庫から五〇〇万円の融資を受けるほどの状態であつたため、事実上の調停が不調に終つたことは当裁判所の審理上顕著な事実である)。従つて根抵当権が本件遺産の義則持分に設定されているからといつて相手方義則に対し遺産の中から当然に現物分割を与えるのは公平を欠くといわねばならない。

(3)  当裁判所の定める分割方法

前記のとおりの本件遺産の現況、地形、管理状況、各当事者の生活状況、遺産分割方法に対する希望、被相続人の遺志その他一切の事情を斟酌すると、本件遺産についてこれを各相続人に現物で分割するのは相当でなく、次の分割基準および方法により遺産分割するのが最も適正かつ公正であると考える。

<1> 別紙目録(略)記載一~六、一六、三〇、三一の遺産は全部申立人節夫に単独取得させる。

<2> 申立人節夫以外の相続人については具体的取得分(現実の相続分)との差額につき債務負担の方法により申立人節夫に金員の支払を命じる。この結果申立人節夫は富山千代に対し一、七一一万三、三六三円、富山尚美、富山徹に対し各四二七万八、三四一円、河田和夫に対し八五五万六、六八二円、富山義則に対し五六五万七、二九四円を支払うべきことになる。

<3> 本件遺産のうち別紙目録(略)記載一~六、一六の物件には前記のとおりすでに共同相続人全員のために相続による所有権移転の登記がなされているので、申立人節夫以外の相続人(登記名義人でない富山千代を除く)に対し別紙目録(略)記載一~六、一六の物件に対する各自の持分について遺産分割を原因とする申立人節夫への所有権持分移転登記手続をすることを命ずる。

<4> 相手方義則は前記のとおり本件遺産のうち別紙目録(略)記載一~六、一六の物件に根抵当権を設定しているところ、民法九一一条の規定により担保責任を負い、将来上記根抵当権が実行され、遺産分割により単独取得者となつた申立人節夫がこれにより遺産の所有権を失つたときは、申立人節夫は相手方義則に対しそれによる損害賠償を請求することができる(民法五六七条)。従つて申立人節夫の相手方義則に対する前記金員支払は相手方義則において上記物件に対する前記根抵当権設定登記の抹消登記手続と引換えに履行させるのが相当である。

第3結語

以上の次第であるから、被相続人鉄太郎の遺産分割につき主文1項(1)(2)のとおり定め、家事審判規則一〇九条を適用して債務負担の方法により申立人節夫に主文1項(3)のとおり金額の支払を命じ、登記義務者である申立人節夫および富山千代以外の相続人に対し家事審判規則一一〇条、四九条を適用して主文二項のとおり本遺産分割の審判による登記義務の履行を命じ、手続費用の負担について家事審判法七条、非訟事件手続法二七条にしたがい、主文のとおり審判する。

(家事審判官 藤田清臣)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例